テレビ中毒だった僕が20歳からテレビを見なくなった理由
- 2017.04.06
- ライフ / Life
テレビって楽しいですよね。
一度見たらついつい見入ってしまい、気づいたら何十分、何時間も時間が経っています。
テレビ見なくなってから6年くらい経ちますが、今の僕にとってテレビは恐ろしい存在です。
何時間もテレビを見てしまった後には虚無感を感じます。
1.ハタチ頃までは毎日、家でテレビを見ていた
小さい頃から毎日テレビを見て育ってきました。
遊びから帰ってきたらテレビを見る。部活から帰ってきたらテレビ見る。
小学校、中学校、高校と家に帰ればすぐにテレビをつけて見ていました。
小学校の頃は特にアニメ。中学生くらいからはバラエティ番組やドラマばかり見ていました。
もちろん、周りの友達もテレビを見ているので、いつも学校ではテレビ番組のことをネタに会話していました。
家にいる時は基本、ずっとテレビを見ているかゲームをしているか、のどちらかでした。
2.苦笑いしてる自分に違和感を感じた
大学3年の時、いつものようにバラエティ番組を見ていると、ふと笑っている自分に「あれっ?自分苦笑いしてる」と感じるようになります。
テレビの番組内では、出演者みんなが笑っているので「条件反射で自分も笑おうとしてるんだ」と気づくようになりました。
”本当はおもしろいと思ってない”のに、番組ではみんなが笑っているから反射的に僕も笑おうとする。(苦笑い)
そんな自分に違和感を感じました。
「面白くないのになんで俺は笑おうとしているんだ?」
テレビで演出されている”おもしろい”場面と、僕の感じる”おもしろい”感覚を混同していました。
バラエティ番組でテレビの中の人たちが笑っているからって、必ずしも僕にとっておもしろい事ではないんだという事に気づきました。
”つられ笑い”してる自分に恐怖を覚えました。
3.編集者によってテレビ番組は演出されている
バラエティ番組の「笑い声」や「へぇ〜」などリアクションの声は実際のスタジオの声ではなく、効果音を使用していることもあります。
こうした演出を用いて、番組の編集者が盛り上げようと「ここ笑うとこですよ」という合図を出しています。
番組編集者の「ここ笑うとこ!」(「わははははっ」の効果音を入れる)によって番組が作られていくわけで、それを見た視聴者の僕は、無意識的に「ここ笑うとこなんだ」と感じて反射的に笑う、という状態になっていました。
それまでに「テレビを見るのが良くない」といった意見はちらほら聞いていましたが、この体験をもって実感のものとなりました。
恐怖を感じたり、感動したり、驚愕の展開だったりとテレビは番組編集者による演出が施されています。
自分で動画編集するようになってから、テレビ番組はいかに編集によって演出されている作品なのかを感じるようになりました。
昨日少し見た番組では、『ためになる』ことが趣旨の番組だったためか逐一女性の「へぇ〜」ってリアクションが何回も聞こえてきました。
その声はスタジオの声ではなく、あきらかに効果音でした。
でもこのへぇ〜って声の効果音も普通に番組を見ているだけだと気づかないと思います。
「実は◯◯は◯◯で治せます!」→「へぇ〜」→「スタジオにいるタレントのリアクションしてる表情」といったことが、繰り返されていました。
無理やり”スゴく”見せようとしている感じに違和感を感じます。
ちなみに僕はほとんどテレビを見ませんが、家族がリビングで見ているテレビ番組をトイレのついでにたまに見るくらいです。
4.テレビ報道が世の中であるという錯覚
ずっとテレビを見てきた僕としてはそれまで『テレビが世の中である』感覚を持っていました。
今巷では◯◯が話題!とか◯◯が流行中!とか、そんな番組の特集を見ているとやはりそれらが世の中であるといった認識を持ちます。
東京オリンピックや築地移転問題、森友学園問題など、テレビの報道を見ているとほとんどの局が同じ内容を取り上げていて、コメンテーター達とその内容を深掘りしている光景を見て「そもそもその問題が今本当に大事なの?」「もっと大事なことはないの?」と違和感を感じます。
僕は政治などの知識に乏しいので、他にどんなことが大事なのかを把握できていませんが、僕の感じている違和感は他の多くの人も感じているのではないでしょうか。
なにしろ、テレビ以外の本やウェブサイト、SNS、YouTubeなどにある情報をみるとテレビの放送は理想的でないことがわかります。
テレビばっかり見て育った僕はテレビが世の中であると無意識的に感じていましたが、情報を他から得ることでより幅の広い多角的な視点で物事を見れるようになっている、と感じます。
これはテレビが悪いってことではなくて、他のメディアからの情報も見ることで、テレビが世の中にとってどんな立ち位置で存在しているのかを知り、その上で見ることが大事なんだと思います。
改めてテレビを見ていて良かったこと、見なくて良かったことを考えてみたいと思います。
5.テレビ見ていて良かったこと
- なんとなく時間を過ごせる
- 飽きさせない工夫がされている
- 友達と話題を共有しやすい
- 世の中の情報が手に入る
- 孤独を感じない
テレビさえあればとりあえず時間を潰せます。しかも飽きさせない工夫がたくさん施されているのでとりあえず見るくらいのコンテンツになっています。
テレビはみんなが見ているから、会話のネタとしても役立ちます。
季節の話題や天気予報、世界情勢など知っておきたい有意義な情報も放送されています。
生活に役立つ知恵や日本の魅力など「見て損はない」と思える情報を得ることができます。
一人暮らしや1人だけの時間など孤独を感じるタイミングでもテレビがあれば”人”を感じることができます。
意外と「孤独を感じない」って理由はテレビの役割として大きいかもしれません。
6.テレビ見なくて良かったこと
- テレビメディアの雰囲気に乗らない
- 受動的な感覚から解放される
まず第一にテレビの風潮に騙されなくなります。
少し前に水素水が話題になりましたが、結局のところ水素水の水素はほとんど体内に取り込むことができずに逃げて行ってしまう、というオチでした。体が水素を取り込めないのならただの水です。
テレビだけではありませんが、連日取り上げることで何回も見ているうちにたまたま水素水が売っているのを見かけたならば、つい欲しくなるものです。
本当はただの水かもしれないと知っていても。
こうした風潮によって流されて暮らすことは恐ろしいことだと考えます。
知らず知らずのうちに誰かによって誘導されていることにもなります。
そしてテレビを見なくなったことで、受け身ではない時間を過ごす機会ができます。
テレビを見ている時って自身が受け身になるので、相手の話していることをずっと聞いている状態です。
でもテレビを見ていないと、自分の趣味やその他のことに能動的な時間を過ごすことができます。
僕はテレビを見なくなって以降、パソコンに向かうようになりました。
パソコンにもYouTubeという誘惑がありますが、文章を書いたり、画像を作ったり、動画を作ったりと創作することに時間を使うようになりました。
動画講座でウェブデザインを学んだり、電子書籍のKindleで本を読んでいます。
テレビを見ている時には自分の人生を生きているような感覚は得られませんでした。
自分で何をしたいか?考えて行動していることの方がよっぽど有意義な人生を歩んでいけると思っています。
選択できることが重要だと考えています。
テレビではチャンネルを切り替えるくらいしかできませんが、そこから脱出すればあらゆることを選択肢として持つことができ、自分で選んでいけます。
テレビにはメリットもありますが、見ないことのメリットの方がかなり大きいと思うし、見るにしろ取扱注意!なんだと思います。
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