なにもしない「ぼぉ〜〜っ」とする時間が、自分の心と向き合える唯一の時間

なにもしない「ぼぉ〜〜っ」とする時間が、自分の心と向き合える唯一の時間

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ぼくは常に”なにか”をしている。

軽く時間ができたら、スマホでツイッターをチェックする。

外に出るときは、イヤホンを付けて外を移動している間は常に音楽を聴いている。

他の時間は基本パソコン画面を眺めて、YouTubeを見たり、ブログ更新したりしている。

 

ぼくの今の生活習慣において、「何もしない」時間がほぼない。

果たしてそれが良いことなのかはわからない。

 

ぼくが”常に何かをしている”には理由があると思う。

自分でもそれはよくわかっていない。

それは「時間をできる限り有意義に使いたい」と思っているからだ。

「どうせ時間があるなら、ツイッターで役に立つ情報を収集しよう。」そんな感じで過ごしている。

 

ただ、外に出るときに音楽を聴くのは、”なんとなく”と言える。

自分では、音楽を聴くのをやめるようにして、その時間を考え事の時間にしたい、と思っている。

でもなぜかいつも外出時には音楽を聴いてしまう。

音楽を聴いているときって、リズムに乗ってしまうので、他のことを考えることはあまりない。

 

しかも最近は新しい曲を追加していないので、今までの曲に飽きてしまっている。

それでも久しぶりに面白い曲はないかな、って探してしまう自分がいる。

 

何もしない時間

今の自分の生活を振り返ってみると、”何もしない時間”って本当にない。

”何もしない時間”があったほうがのいいのか?って疑問に思うかもしれない。

 

ぼくは今の生活において、”何もしない時間”があったほうが良い、と思っています。

それはこの記事のタイトル通り、何もしない「ぼぉ〜〜っ」とする時間が、自分と向き合える唯一の時間だと思うからだ。

 

ぼくはいつも”誰か”との対話をしている。

ツイッターやフェイスブックではタイムラインに流れる記事の情報と対話している。

音楽を聴くときは曲と対話している。

テレビ見るときは番組、もしくはその出演者と対話をしている。

 

自分を客観的に見るために、自分との対話をすることをぼくはしていません。

みんなはどうなんだろうか?

自分と対話をする時間ってあるのだろうか?

 

あ、あと自分と対話をする良い機会があることを思い出しました。

「湯船に入っている」時間です。

これは他の情報から全く遮断されている状態を作り出すので、自分と対話する時間を作るのにかなり有効な手段だと思います。

 

人生は短く感じるときもあれば、長く感じるときもあります。

大きな目標がある人にとって人生はとても短く感じるでしょう。

なぜなら、大きな目標を達成するためには膨大な時間が必要になるからです。やることが腐るほど出てきます。

そうすると人生が短いものだと感じます。

 

逆に人生が長く感じる人は”特にやることがない”と感じている人なのでしょう。

やることがない、と考えると未来を見たときに膨大な時間があることを感じます。

 

自分と向き合う時間をつくる

とまあ、話は逸れましたが、”満足する人生”を送るためにも定期的、もしくはたまには「自分と向き合う時間」を作ったら良いと思います。

自分と向き合う時間って、「結局自分は何がやりたいんだろう」とか「今のままでいいんだろうか」とか、現状を見直す良いきっかけになると思います。

自分について深く考えることができます。

 

普段生活する中で、毎日、毎分たくさんの情報に触れています。

それらの情報は自分以外の”外部”からの情報です。

そんな外部からの情報から完璧に離れて、自分だけとの”自分のための作戦会議”って必要なんだと思います。

 

だから今海外ではヨガとかスピリチュアルとか精神的なカルチャーが流行っているのかもしれませんね。

情報社会ならではの「自分のあり方」の探し方なのかもしれません。

 

二宮パトリク

 

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